計画的自殺を完遂した哲学者の本

自死という生き方.jpg
『自死という生き方ー覚悟して逝った哲学者ー』須原一秀

この本は、ザックリ言ってしまえば「元気なうちに死んでおきたい」と思い立って実際に実行した、当時65歳くらいの学者が書いた本である。

将来的に自殺で人生を終えようと考えている人間としては、やはり一度は読んでおくべき本かなと思い、図書館で借りてきた。

この本には須原氏本人が書いた原稿『新葉隠』が収められており、冒頭に解説者からのコメントがあり、最後には家族からのコメントが寄せられている。

全体的に力強い雰囲気が漂う本で、悲愴感はなく、読んでいて基本的にはそんなに暗い気持ちにはならなかった。
(もちろん“死”をテーマにしているので、病苦とか臨終の時とか、そういったことに関する考察や言及はあるけれど……)

この著者であり実際に自殺(自死)をした須原一秀氏はとてもポジティブな人で力強い人生を歩んだ人のようで、厭世主義や悲観主義から自死を選択したわけではないようだ。

『新葉隠』ではまずソクラテス・三島由紀夫・伊丹十三の自殺(?)について色々と言及している。
著者による独特なソクラテスの死に際についての考察は面白かった。

その後はキューブラー・ロス氏の「死の受容の五段階説」を「死の受動的・消極的受容の五段階説」としたうえで、それに対して須原氏は「死の能動的・積極的受容の五段階説」を提示する。

そして、なんやかんやとちょっと小難しい内容が続きながらも、須原氏の独特かつ非常にわかりやすい死生観が述べられている。

「安らかな老衰」なんて幻想である…とか、世の人々は「自然死の苦痛」についてもっと真正面から向き合って真面目に「死」について考えるべきである……などなど、色々と仰っておられる。

そして、武士道とか男たるもの云々…などなど、「一世代前の男性」っぽい記述がチラホラと続き、日本人の死生観(=日本人は昔から“自死”が実に身近だった)のことなどについて触れられている。

その後もなんやかんやと理屈っぽい記述が続き、須原氏の独特な切り口(?)で語られる文章が展開されてゆく。
ところどころで、とにかく動物実験に対して大反対である姿勢が垣間見れた。肉食にもちょっと否定的?な人なのかもしれない。ベジタリアン気質なのかな。まぁなんとなくわかる気もするけれど。

須原氏はかなりクセの強い人物であるように感じた。文章にもそれが滲み出ているので、好きかキライかは人それぞれかもしれない。私は須原氏の書き方やスタンスは好きだ。
全体的に「老侍の遺書」と言った感じがする。まぁだから『新葉隠』なんてタイトルを付けたんだろうけれど。

ただ、見方によっては「自殺を正当化するために屁理屈こねてるだけ」という風にも見えてしまうかもしれない。実際、賛否両論のようだ。私はもちろん賛成の立場である。

ちなみに、p12には須原氏の遺体が発見された時の様子が書いてある。

須原氏は、2006年4月初め、××県のある神社の裏山で縊死しました。
頸動脈は自ら、刃物で切り裂いてありました。失敗を絶対に防ごうとするためです。


↑…なんという潔い(?)最期であろうか。敬服する。
やっぱり死に方は縊死(首吊り)なんだな、と思うと同時に「なぜ頸動脈を切った?」という疑問が沸き起こった。

首吊りのセッティングをしたあと、自らナイフかカミソリで頸動脈を切って、血をダラダラ流しながらブラブラ首吊りしたのだろうか…。想像してみるとけっこうすごい光景である。
縊死だけで十分な気がするけれど、失敗を確実に防ぎたかったという並々ならぬ情熱が伝わってくる。なかなかできることではない。サムライや。

須原氏は本の中で何度も「地獄というものがあるならば、人間は皆地獄行きであろう」と言っており、このスタンスには私も完全同意だわ。天国と地獄があるなら、大部分の人間は確実に地獄へ行くだろう。

まぁとにかく、この本は、読んだ後どこかすがすがしくなる思いがした。(私はね)
結局のところ「よく食べて、いっぱい感動して、さっさと死ぬ」という人生が一番なんだろう。
なかなかそう簡単にいかないのが実情であるが、このまま超高齢化社会が進むのなら、冗談抜きで安楽死施設や安楽死を可能にする錠剤や安楽死サークルを作るべきなのでは…と思う。

もちろん若い人がどんどん死んだり、安易な自殺を勧める気はないけれど…。

まぁなんだかとにかく私は須原氏の豪胆な「自死観」にちょっと心救われたわ。
私は完全に悲観主義・厭世主義・虚無主義なので須原氏と対極に居るような人間ではあるけれど、実際に計画的自殺を完遂した人の実感を伴うリアルな書物として、非常に勉強になる内容だった。

首吊り自殺未遂した身としては「心神喪失状態でない限り自殺はまず無理だ、計画的自殺は非常に非常に難しい」と思っていたけれど、意志の強い人なら平常心のままでもやれるもんなんだなと。
もちろん皆が皆真似できるとは思えないけれど…。

以下、個人的に気になったところをメモ……φ(..)

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「もともと明るくて陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、平常心のまま、暗さの影も異常性もなく、つまり人生を肯定したまま、しかも非常にわかりやすい理由によって、決行される自死行為がある」ということを今から立証しようとしているのである。(p55)

伊丹十三は飛び降り自殺をするほぼ1年前に出版した訳書『中年を悟るとき』(ジャンヌ・ハンソン著)のあとがきで、「人生に正解はない。この世に絶対の正義も存在しない。年をとったらいい顔になるはずだったんだが。楽しいうちに死にたい。1996年夏、伊丹十三」と結んでいるのである。
つまり、病気とか老化とか何かややこしいことに悩む前に死にたい、と言っているのである。(p73)

もし地獄というものがあるならば、人間は全員地獄へ行くことは免れえないはずである。真剣に考えれば、誰しもそう結論せざるを得ないはずである。ということは、その種のことは考えても仕方がないということである。したがって、考えないのである。(p115)

自分は自動車に乗って、観葉植物と共にマンションに住み、ラット、ウサギ、ネコ、サル、イヌ、などの何百万という実験動物の地獄の苦しみを経由した薬や化粧品を使用し、またトリやブタなどの畜産動物の悲惨な生涯――たとえば、英国動物実験廃止連盟や地球生物会議などの制作したビデオを参照されたし――の上に築かれた食生活の上にあぐらをかきながら、「かけがえのない命」や「大いなる自然への畏敬の念」について語るのもかなり問題である。(p135)

いずれにしても、人間は誰でも、本来鬼畜のごときアサマシイ心を持っており、阿弥陀さまか神様でも居なければ確実に地獄に落ちることは、親鸞などが保証してくれているとおりである。
もちろん、私にもいくつか思い当たる節があり、地獄が存在するならばそこに収監されることは間違いないと信じている。したがって、私は地獄のことは一切考えないことにしているし、ついでに天国も極楽も考えないことにしている。(p137)

ある老人の死――これはある写真集のような本で読んだのであるが、ある外国の老人が介護を受けなければならなくなった段階で、食事を拒否し、結局は餓死して死んで行く様子が記録写真とともに描かれていた。
その姿は感動的であると同時に、そこに一種の「人間らしさ」と「潔い行動」のもつ清々しさを感じたのである。(p199)

つまり、ここで確認したいことは、「老化」と「自然死」を嫌って自殺する人は、正に「老化」と「自然死」だけを否定したのであって、人生全体を否定しているわけでもないから、厭世主義者でも虚無主義者でもない、ということである。
逆に言えば、「老化」と「自然死」に受動的に流されて自殺できない人が、人の主体的主観的領域にまで土足で踏み込んで、しかも訳知り顔で、厭世主義的や虚無主義的暴言を吐くのである。それが、人生は悪しき冗談だの、重荷だの、病気だの、という格言になるのである。そんなバカな話はない。話が逆になっているのである。
したがって繰り返すが、「老化と自然死を嫌って自死を決行する人」はむしろ人生肯定論者である場合が多いのではないかということである。(私自身はまさに人生を肯定する人間の一人である。) (p251)

新聞の折り込み広告にチタンの歯根を埋め込んだ総義歯の広告を見ると、自分が今自分の歯だけで固いものも何の問題もなく噛めることと、その状態のまま私の人生は閉じることは非常にありがたいことだと思ってしまう。
またスーパーで、嫁か娘に介護されつつも不機嫌そうに車椅子にのっている90歳くらいのお年寄りに出会う時、そしてその生気のない顔を見るとき、自分がこのような状態に陥ることはないことにホッとしてしまう。(p268)

【須原氏の息子のコメントの一部】
この本を読まれた方は、父が本当に最期まで平常心を保つことができたのか、という疑問が残ると思います。
少なくとも前日までは、私にとって普段と何ら変わることなく、陽気で少しばかばかしい、いつもどおりの父でした。
ちなみに後に出てきた家族あての遺書には、「野菜を食べ、運動しろ」と書いてあり笑ってしまいました。父は私たち家族にとって最後まで面白い人でした。
<中略>
父の自死に一番動揺したのはもちろん母でしたが、父の考えを一番理解していたのも母であり、今では「夫ながら生き方の参考になった」と言っています。
(p306)

最後に、インターネットに掲載されている書評や、読者の方から直接ご意見をお伺いした中で、私の印象に残った一文をご紹介します。
「自死という言葉に惑わされず、生き方を考える本、生きるために必要な本として読んでもらいたい一冊。」
それが、まさに家族としての願いです。
(p307)

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