「もしも1週間後に死ぬ運命ならどう過ごすか」と考えて行動してみる

金稼いでも虚無。

貧乏癖が骨の髄まで染み込んでしまっているため「消費」が楽しめない。

どーしよう。

そう思ったとき、ふと「もしも1週間後に死ぬ運命ならどう過ごすか」と考えると、なかなか良い方向へ行動が向かうことに気づいた。

こんな考え方、正直ウザいなとは思う。
意識高い系の人間が言いそうな台詞だし、ニート精神を持つものとは相容れないような気もする。

でも、そもそもレンタル彼氏の件も「もはや災害などでいつ死ぬかわからない…死ぬ前にキスぐらいしてみたい!」と一念発起して起こした行動だったんですよね。

ちなみに先日、その昔私が青春を捧げた某V系バンドの記念展示会みたいなものが都内でヒッソリと行われていたんですよ。
最近は全然バンドの動向なんてチェックしてなかったんですが、たまたま偶然そのことを知って、割と近くで行われていたので行って来ました。

これも行こうかどうか迷いました。

「めんどくせぇな…バイトで疲れてるし…最近は音楽なんて聞かなくなったし…最近メンバーがどうしてるかなんて知らんし…未だに熱狂的な人たちだけが行ってるんだろうし…なんかちょうど生理になっちゃったし行かなくていいかぁ(鼻ホジ」

って思ったんですよ。うん。

でも…「もしも1週間後に死ぬとしたら」と考えると、行かなかったことを後悔しそうだなと思ったんですよね。
そう思うことによって、重い腰が持ち上がりました。

結果的に行って良かったなと思っています。
でも、正直言って…そこまで感動しなかったのもまた事実なんですよね。
「ヘー…スゴクナツカシイナァ…」で終わり。

どうしても感動ってもんが…なんだろうもう…もはや、私の精神は生きてるのか死んでるのかわからないですね。

ただ、この「もしも1週間後に死ぬ運命なら~」という考え方は、私にとっては悪くはないみたいです。

たとえば新発売の300円くらいのチョコレートがあったとします。
貧乏癖が染み付いてる私は「美味しそうだけど、ちょっと高いな…やめとこう」と思ってしまうわけです。経済的には何ら問題なく出費できる範囲内なのにこう思ってしまうわけです。

でも…「もしも1週間後に死ぬとしたら」と考えると、食べなかったことを後悔しそうです。そう思うことによって無理なく買うことができます。

本や漫画などもそうです。
読まなかったことを後悔しそうなら買おうかなと。

さすがに旅行するだとか、デカい買い物とかには未だ興味はありませんし気力がないので、まぁ小さなことをチョコチョコとね……。
つうか旅行なんて疲れるだけなのにようやるわ。皆すごいな本当に。

ま、実際もういつ何がどうなるかわからん世の中だよ。本当に。

それにしても、無職だめ系のブログなどをたまに覗いていますが「食べることが唯一の楽しみ」という人が結構いますね。
外食したときの食事をたくさん撮って載せたり…すごく食欲旺盛な人もいますね。糖尿になるんちゃうかと心配になるくらいの人もいます。

私は…食べることにもあまり興味がありません。
カッコつけてるわけではなく、美味しいものがよくわからないというか…もちろんわかるけど、どうもそこまで興味が持てないんですよね。
前述のとおり、新発売のチョコレートに興味を持ったり、たまに「○○が食べたいなぁ」くらいの興味の持ち方はしますが、それさえも食べたら気持ちが一気に冷めるというか、食べ終えると虚無が待っています。

そりゃ美味しいもの食べるのは良いことだし、嬉しいことですが、なんか虚無です。虚無だらけ。虚無まみれ。

「飯を食べなければ死ぬ、皆死にたくないから食う、食うために働く」というサイクルを潜在的に恐れているのかもしれません。
太宰の『人間失格』にも同じようなことが書いてあったような気がする。

太宰_人間失格.JPG

……めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが……


私の場合、家族の食卓が苦痛で楽しくなかったことや、10代の頃に拒食症にほんの少しだけなりかけたことなどが原因かなぁと思いますね。
「スタイルいいよね」と言われると、それを維持しないといけないような気持ち(=スタイルが悪くなったら自分は無価値になってしまうという恐怖感)になってしまい、太る事への抵抗がすごくあったんですよね。
さすがに三十路を過ぎて、そこまで思い詰めることは無くなりましたが、未だにカロリーを無意識に気にしてしまうことがあります。

ニートでも無職だめでも何でもそうですが、罪悪感無しに飯が美味しく食べれているなら、それはスゴく良いことだと思いますよ。

食べすぎはよくないけど。

ところで…バイトはじめたら消費カロリーが大幅に増えたせいか自動的に体重が減りました。
162センチ・45キロ台に…。

本気で体重計壊れてるのかと思った。

もう少し太って筋肉付けたいです。(←死にたがりの癖に無駄な健康志向という矛盾)

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この記事へのコメント

  • ムー

    貧乏癖が骨の髄まで…←笑っちゃいましたw私は浪費傾向の人間ですが、満たされるのは一瞬で、手に入れてしまえば、済んでしまえば、「で?」って我に返って結局また虚無がやって来ますよ。
    「もしも一週間後に…」という考え方、いいと思いますよ。「そんな極端な…」って思う人もいるんでしょうけど、終わりがわからないことが重く重く感じてしまう人間は、その時点で疲弊して動けなくなってしまうので、あえて自分にゴールを与える様な考え方をしていく事がプラスになりますね。「とりあえず一ヶ月(又は半年、又は一年)は、好きに生きてみる」その後どうするかはその時の自分に託して、今の自分が考えるのはこの設定した期間の事だけって考えることで、無駄が削ぎ落とされて少しは気楽に生きられる気がします。
    先の事を考えて「楽しみ(ワクワク)」って考え方が出来ること、そう生きられることが″正解″って訳じゃないですからね。
    食への興味は私も年々低くなってますね。入る量も年と共に減ってます。
    憶測ですけど、シスイさんは超無言家族の″無言″が(食の面だけではなく全てにおいて)圧力の様に感じられながら育ったのかもしれませんね。子供は、自分がどんなふうでいようとも受け入れられている、無条件で歓迎されているっていう環境(無償の愛)があってこそ、心身共に健全に育つものですよね。自分の感情を押し殺して、自分というものを蔑ろにして、家族の空気に合わせていかなきゃいけなかったことが、最低限必要な自己肯定感の欠如などに繋がってしまったんだろうなって。間違えてたら申し訳ありません、偉そうに。私個人のことで言えば、家庭よりも子供の頃の外での環境が過酷すぎたが故であったように思います。
    話が重くなってしまいましたが、褒め言葉が喜びの感情に直結せずプレッシャーになってしまう思考、よくわかります。こんな自分に疲れますわ、ほんと。
    話し変わって、私もよくお菓子食べるんですが、最近ボノボンをパッタリ見かけなくなりました(東京です)。どうしたんでしょう?以前ボノボンについて書かれていたと思うんですが、私もアレ好きなんですよね。インスタントラーメンは具なしが好きって記事でも、「この人どこまで私と似てるんだ?」と思いました。私も子供の頃から具なし派です(笑)
    2018年09月21日 00:00
  • 持たざる者

    多分、シスイさんは鬱なんだと思いますよ。まだまだ鬱。
    なーんも興味わかないというか。
    好きだったものも別にどうでもいっかって。
    自分と同一視するつもりも必要性もないのですが、エンターテイメント、娯楽に対してそういうスタンスだったなあと。
    まあ、今でもさして変わってないですけど。
    シスイさんはこれが楽しみってものあるんでしょうか。
    私はもう、人生を楽しむつもりもない、って感じです。
    そう考えたほうが楽だし、しっくりくるので。
    じゃあ私が普段娯楽として親しんでいるものはなんなのかって思ったら、これは私にとって楽しみというより、慰めなんだろうな。と思うようになりました。
    行いとしては似ているんでしょうけど、多分かっての楽しめていた感情のの延長線上ではないような気がします。
    しかし、もしも1週間後に死ぬ運命ならどう過ごすか、ちょっとした買い物には確かにいいかもしれないですね。なんか言葉だけだと長期的な見通しの行動ができなくなりますけど。使いようですね。
    まあ、鬱な人に長期的な見通しもクソもないですよね。日々が大変ですよ。あとご飯食べましょう、栄養価も気をつけて、そうしたら働いているから運動もするし、陽にも少しは当たるでしょうし。きっとなにかを心から楽しめるようになるかもですよ。そんときが来たら、素直に楽しかったー!ってなってほしいです。
    2018年09月21日 12:02
  • シスイ

    ムー様>
    ほんと、満たされるのって一瞬ですよね。

    >終わりがわからないことが重く重く感じてしまう人間は、その時点で疲弊して動けなくなってしまう
    そうなんです!終わりが見えないと何もできずにがんじがらめになってしまうんですよ。
    だから、ある意味「区切り」みたいなものを自分に設けると良いのかもしれない、というのは最近気づきました。
    ムー様の書くことはとても共感します。まさに全部そのとおりです。

    >超無言家族の″無言″が(食の面だけではなく全てにおいて)圧力の様
    これもその通りなのかなと思います。
    家庭内もそうですが、社会全体の無言のルール(学校行って就職して…という既定路線に乗らねばならないプレッシャー)にも疲弊していました。
    そういう人間は私だけではなく大勢いるとは思いますが、なんというか、本当に疲れ果ててしまっていたんだと思います。

    家庭からも社会からも「お前は変だ」と指をさされて言われているようで…まぁ居場所が無かったんでしょうね。実際変人ですし。

    >褒め言葉が喜びの感情に直結せずプレッシャーになってしまう思考
    これも本当にそのとおりです。素直に自分を肯定できないんですよね。

    ボノボン、たしかに見かけなくなりましたね。
    夏だからでしょうか…?冬になったらまたたくさん店頭に並ぶのかな。
    色々共通点が多いようで、私も嬉しいです。笑。
    2018年09月21日 13:24
  • シスイ

    持たざる者様>
    たしかに、性格の基本設定が「鬱」なんですよね。苦笑。
    もはやなにがなんだか…自分でももうどうしようもないですね。

    でも10年くらい前は、とある小説にドハマりして没頭したり、何かを強烈に好きになることはそれなりにあったんですけど、最近は本当になくなってしまいました。
    年齢的なものもあるんだと思います。

    あと、私の場合は絵描きなので、絵を描くことは…ずっと続けています。
    でもこれも「楽しみ」なのかと聞かれると、なんだか違うような気がします。
    「絵を描かなくなった自分なんて無価値だ」という強迫観念からくる気持ちから動いているような…自分の存在証明のために描いているようなもんです。
    それでも昔は楽しかったけれど、最近は楽しさというものは色あせてきました。

    持たざる者様と同様に、娯楽というより慰めに近い感覚なのかもしれません。

    >鬱な人に長期的な見通しもクソもないですよね。日々が大変ですよ。
    ほんとそうですよね!もう毎日を消化することで精一杯です。

    栄養価は大丈夫です(たぶん)。特にビタミン摂取を一番心がけています。レモンのハチミツ漬けをせっせと作って食ってます。
    2018年09月21日 13:33